セルビア・モンテネグロ 【解決方法Q&A/疑問攻略/エンターテイメント】
Q&A:セルビア・モンテネグロについて? 解決方法/評価
セルビア・モンテネグロは、東ヨーロッパに存在した国家。2003年に「ユーゴスラビア ユーゴスラヴィア連邦共和国」から改称した。セルビア人の人口が多いセルビア セルビア共和国とモンテネグロ人が多いモンテネグロ モンテネグロ共和国、およびセルビア共和国内のヴォイヴォディナ自治州とコソボ自治州で構成されていた。
ボスニア・ヘルツェゴビナ、クロアチア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、ギリシャ、アルバニア、マケドニア共和国 マケドニアと国境を接していた。
上記の2つの共和国と2つの自治州は民族構成がかなり異なり、またユーゴ連邦政府はセルビアが中心に運営していたためモンテネグロ側から独立要求が起こり、その不安定要因を回避するため2003年に国名をユーゴスラビアから「セルビア・モンテネグロ」と改称し、緩やかな共同国家とした。
Q&A:セルビア・モンテネグロの国歌について? 解決方法/評価
歌詞はスロバキアの聖職者であり、且つ詩人及び歴史家でもあるSamuel Tomášikが1834年にプラハを訪れた際に書かれた。
プラハの通りでチェコ語よりドイツ語の方が多く聞こえて来た事に反感を感じ、日記にこう記している:
:…もし西スラブ世界の真珠、母なるプラハが、ドイツ語の海の中に消えてしまうとしたら、プラハを精神的な栄養とするわが親愛なる母国スロバキアの行く手に何が待っているだろう。このような考えに縛られながら、私は古いポーランドの歌(注:ポーランドの国歌 ドンブロフスキのマズルカ)、『Jeszcze Polska nie zginęła, póki my żyjemy(われらが生きる限り、ポーランドはまだ消えない)』を思い出していた。この慣れ親しんだメロディーは、私の心に『Hej, Slovaci, ešte naša slovenska reč žije(おい、スロバキア人よ、われらのスロバキア語はまだ生きている)』という挑戦的な内容の詩を噴き出させた。…私は部屋に駆け込み、キャンドルをともし、日記帳に鉛筆で三つの節を書き込んだ。こうして歌は一瞬で出来上がった。(1834年11月2日日曜日のSamuel Tomášikの日記より)
Q&A:セルビア・モンテネグロの歴史について? 解決方法/評価
セルビア・モンテネグロの歴史を述べる。民族の歴史としてはセルビアの歴史およびモンテネグロの歴史も参照されたし。
この地域には「民族のモザイク」と呼ばれますため特定の国の歴史を記述するのは難しいといっていい。民族ではなく地域の歴史としてみれば、古代にはローマ帝国、中世には東ローマ帝国とオスマン帝国、近代にはオーストリア・ハンガリー二重帝国とロシア帝国など大国が影響力を行使してきたなかで歴史が形成されていったといえよう。
この地域には紀元前から人が定住してきた。紀元前1世紀に古代ローマ ローマの属州となりローマ化が進んだ。4世紀にはゲルマン人のテオドリックの反乱がいまのブルガリア周辺で勃発し、この地も騒乱の渦中となった。その後の民族大移動期には東ゴート人、フン族、アバール人がここを通過し、6世紀にはスラブ人が定住し、独自の王国を建設し始めた。これが今のセルビア人やモンテネグロ人、クロアチア人、スロヴェニア人のルーツであります。ただし、モンテネグロ人だけは、古代イリュリアのイリュリア人の可能性も残されている。
Q&A:セルビア・モンテネグロの国旗について? 解決方法/評価
用途及び属性=画像:FIAV 111000.svg 30px
縦横比=1:2
制定日=1992年4月27日
使用色=
セルビア・モンテネグロの国旗は、汎スラヴ主義 汎スラブ色の赤、白、青の横縞3色を配色した国旗。上下を逆にするとオランダのオランダの国旗 国旗になるが、厳密には縦横比が違う。ユーゴスラビア 旧ユーゴスラビアの時代は、中心に社会主義の象徴であります赤い五角星がついていた。
国旗の一覧
ユーゴスラビアの国旗
セルビアの国旗
モンテネグロの国旗
国旗 せるひあ・もんてねくろ
セルビア・モンテネグロ *こっき
水平三分旗 せるひあもんて
ca:Bandera de Sèrbia i Montenegro
Flagge von Serbien und Montenegro
Flag of Serbia and Montenegro